Book(Manga)「兵士が可愛く描かれる戦争漫画『ペリリュー~楽園のゲルニカ(7)~』」

「ペリリュー~楽園のゲルニカ(7)~」(武田一義著、白泉社)

Over view 「ペリリュー~楽園のゲルニカ~」(武田一義著、 原案協力者・平塚柾緒 白泉社)は、太平洋戦争中の1944年9月15日から11月27日にかけて、ペリリュー島(現在のパラオ共和国)で行われた日本軍とアメリカ軍による戦闘を描いた漫画です。ペリリュー島の戦争で日本軍は9839人のうち生存者は34人、米軍4万2000人で戦死者は2336人となりました。全滅に近い状態となった日本軍ですが、一時期はアメリカ軍を苦しめ、日本の第14師団歩兵第2連隊は第一海兵師団を壊滅させました。

漫画は現在、「第7巻」までが発売されており、キャラクター商品として描かれるかわいらしいタッチの兵士たちが、今までにない戦争漫画として注目されています。しかも、リアルな戦争を描いているのです。2017年には第46回日本漫画家協会賞優秀賞も受賞しました。

実際に作者の武田一義さんはペリリュー島(現在のパラオ共和国)にも何度も取材に出かけたそうです。爆弾を浴び顔の判別ができない状況になって死んでいった兵士たちも多かったのですが、どういう状況で兵士が死亡したのか、普通なら目をそむけたくなるような戦争の現実も、この漫画なら直視できるのです。当時、ペリリュー島で日本の兵士たちが何を考え毎日を過ごし、米軍たちと闘ったのか、田丸一等兵を主人公として日本軍の兵士の様子が詳細に描かれています。

顔のない死体の所持品から本人確認

漫画「ペリリュー~楽園のゲルニカ」の「第7巻」ではこの日本軍が食糧など米軍物資の保管してある集積庫に潜入するシーンからスタートします。集積庫に侵入した日本の片倉兵長は米軍の兵士を見て殺害を試みますが、吉敷上等兵が、その行為を危険として止めようとします。それに片倉兵長は怒り喧嘩を始めようとします。

しかし、米軍の敷地内で味方同士が争うことほど危険なことはありません。小杉伍長が二人をなだめます。戦争で死亡する兵士は武器による者だけではありません。食糧難による飢餓も死亡の原因に多かったのです。

この集積庫近辺をうろつく日本の兵士たちは、米軍兵士たちに発見されてしまいますが、田丸一等兵たちは、「酒を探しに来たが見つからなかったから帰るよ」などと巧みに英語を話し、隙を見て米軍兵士たちから逃げてしまいます。

翌朝、島内を歩く日本軍の兵士たちは、顔がない誰かを確認できない死体を発見します。服装から日本の兵士には間違いありません。そして田丸一等兵は、死体の手に口紅が握られているのをみつけ、以前に泉兵士が口紅を持っていたことを思い出すのです。

顔のない死体を実際の映像で放送したり、視聴者が直視することはできませんが、「ペリリュー~楽園のゲルニカ」では残酷なシーンにも正面から取り組んでいます。この辺がリアルな戦争を描いている特徴の一つといえます。

9800人が死亡し生存者42人。島全体が日本軍将兵の墓だ

その後も戦況は悪化の一途をたどり、日本軍兵士たちは次々に殺害されていきます。生き残った兵士は42人となります。

「もはや島全体が、我ら日本軍将兵の墓のようなものだ」島田少尉の言葉が田丸一等兵の脳裏を廻ります。1万人近くの兵士たちのほとんどが死亡してしまったのです。それでも兵士たちはめげることなく、田丸一等兵が段ボールで作った花札をしながら遊びに興じます。田丸一等兵は「このまま、絵をかいていたい」と強く思うのでした。

当時の日本では1945年4月1日沖縄本島に米軍が上陸、この戦争では日本軍7万5000人、沖縄県民15万人が死亡しました。その3か月後に日本全土に焼夷弾が降り、8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下されます。やがて6日後の8月15日、ラジオによる玉音放送は日本の無条件降伏を流しました。ペリリュー島でも同じ日を迎えた日本の兵士たちがいました。

Comment ブログ筆者

登場人物の親しみやすさ可愛さから女性も読みやすい戦争漫画 

戦後生まれのブログ筆者は戦争体験がありません。戦争について知ったのは、ベトナム戦争をテーマにした映画「ディア・ハンター」がきっかけでした。以降、社会に出てからも映画やテレビの特集番組、写真集やノンフィクション、小説などを通じて戦争について学ぶことが多かったといえます。

比較的、漫画を通じて戦争について考えるということは少なかったと思いますが、「ペリリュー~楽園のゲルニカ」は、その表紙を見てすぐに第1巻から読み始めました。生活ペースが忙しくなり、なかなかボリュームのある書籍に目を通す時間がなくなる中で、この漫画はとても読みやすかったのです。最新刊の「第7巻」では漫画家の里中満智子さんが帯にコメントを寄せていますが、登場人物たちが親しみやすい表情をしており、女性も読みやすい戦争漫画だと思います。

しかも、登場人物たちの愛くるしさとは裏腹に、全編を通してリアルなペリリュー島での戦争が描かれているのです。

希望を失わないことが生き残る道につながる

「第7巻」の中には田丸一等兵が段ボールの花札に絵を描きながら「好きな絵をこのまま、ずっと描いていたい」と独り言をいうシーンがあります。

アウシュビッツの地獄の収容所を生き抜いた精神科医のビクトール・フランクルさんは、収容中に、どんな状況の中でも演奏会を楽しんだりする人がいたり、自分が帰れる日を楽しみに待っている希望のある人が、生き残れる確率が高かったと「それでも人生にイエスという」(春秋社)の中で書いています。田丸一等兵の「このまま絵をかいていきたい」という気持ちは、過酷な戦場にあって確かな希望だったのだと思います。

また、「ペリリュユー 楽園のゲルニカ」7巻では米軍の物資倉庫で食糧を盗む日本軍兵士の様子が描かれていますが、戦争で死ぬ兵士には食糧難による飢餓や栄養失調も多かったのです。

原案協力者でもある平塚柾緒さんの「玉砕の島 ペリリュー~生還兵34人の証言」(PHPエディターズグループ)には、地獄の戦場で生き残った兵士の証言が以下のように記載されています。

「天山にいて戦った時期が一番苦しい時期だった。水がないし食糧もない。何が苦しいといったって、水がないほど苦しいものはないからね。(略)昼間は岩からたれる雫(しずく)を缶詰などの空き缶などで受けると、一日で湯呑茶碗の半分くらいたまる。それを三人から五人くらいで飲んだ・・・・・」 

 

著者関連本 

「玉砕の島 ペリリュー~生還兵34人の証言~」(PHPエディターズグループ)

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