「バタフライ~17歳のシリア難民少女がリオ五輪で泳ぐまで~」戦争…信じがたい現実の中で、強く生きる女性の真実の物語

「バタフライ~17歳の難民少女がリオ五輪で泳ぐまで~」
(ユスラ・マルディニ著、土屋京子訳 朝日新聞出版)

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 ユスラ・マルディニは1998年生まれのシリア出身の水泳選手です。父親であるイッザトのもとで幼少の頃から水泳をはじめ、競技生活を始めました。しかし、ユスラが13歳の頃の2011年に、シリアではシリア政府軍と反体制派による内戦が勃発。多くの子供や一般人が犠牲となりました。2018年9月時点のシリア内戦による死者数は36万人を超えた(シリア人権監視団)といわれていますが、国外には難民となってトルコやレバノンなどに500万人以上が逃れました。
 

ユスラもシリアで練習中のプールに爆弾が落下するなど身の危険を感じ、2015年8月に姉のサラと共に出国を決意します。しかし、脱出は容易ではありませんでした。難民が乗船したボートでは途中で転覆したりして死亡するケースも多いですが(2015年4月18日にはリビアを出国した難民が乗船した船が転覆し900人が死亡した。「シリア難民」⦅ダイヤモンド社⦆より)まさにユスラも命がけの出国だったのです。ユスラたちも密航業者が用意したボートでエーゲ海を渡る途中、エンジンが停止。ボートから降り海を泳いだりして、命からがらレスボス島に何とか到着し、以降は徒歩、バス、列車などを乗り継ぎながらギリシャ、セルビア、ハンガリー、オーストリアを通過し、ベルリンに到着しました。
 

8月12日にシリアのダマスカスを出発し、ベルリンに到着したのは9月7日、実に26日間の脱出行となったのです。多くの死や目をそむけたくなるような、信じがたい現実、そしてさまざまな困難に遭遇しながらもユスラは怯むことなく、ドイツに到着後は水泳の練習を開始します。やがて、2016年のリオネジャネイロ・オリンピック難民選手団の一員として、競泳バタフライ100メートルに出場しました。
 

バタフライ~17歳のシリア難民少女がリオ五輪で泳ぐまで~」(ユスラ・マルディニ著、土屋京子訳、朝日新聞出版)では、戦火を逃れ祖国を脱出し、命からがらベルリンに到着した難民ユスラが、幼い頃から取り組んできた水泳を諦めずに継続し、オリンピックに水泳選手として出場を果たすまでの勇気のストーリーが描かれています。
 
 

2011年にシリアで内戦勃発、1日に1000人が死亡

1998年にシリアで生まれたユスラ・マルディニは水泳コーチの父親であるイッザトに幼い頃から、最高の水泳選手になるべく、3歳上の姉・サラとともに育てられました。それは兵士さながらの毎日で、学校が終わる時間にイッザトはユスラたちを校門で待ち、そのままプールに連れていき水泳のトレーニングをしたのです。水泳の他には長距離走と射撃も練習を積み、カイロの大会ではサラたちの活躍でシリアはメダル獲得数で5位に入るなど健闘しました。やがて、ユスラは水泳・バラフライの選手として好成績を残すようになります。
 
 しかし、2011年3月、リビアでカダフィ政権に反対する反政府デモが活発化、チュニジア、エジプト、リビアに続いてシリアでもデモが活発化するのではないかという噂が立ち始めます。不穏な噂は現実となりある日、父親のイッザトが家に入ろうとした時、見知らぬ男たちの集団に捕まり、どこかの建物に連れていかれてしまいます。男たちはイッザトの足首をロープで縛ってさかさまに吊し殴ったのです。数時間後、人違いだとわかり外に放り出されました。

以降、シリアの内戦は激化の一途をたどり、悪い日には1日1000人の死者が出たことをニュースが報じるようになりました。やがてユスラにも危険が迫ります。プールで練習中に爆弾が落とされたのです。ユスラは逃げながら、プールのある施設を見上げると、穴が開いていて空が見えました。プールの底には長さが1メートルのRPG(対戦車擲弾)の不発弾が落下してきたのです。
 

2015年、ユスラ出国も24人乗りのボートがエンジン停止
 

2015年8月、身の危険を感じ出国を決意したユスラと姉のサラは、12日にシリアのダマスカスから飛行機でトルコのイスタンブールに到着。そこから車とフェリーでエーゲ海沿岸まで走りますが、ゴムボートでレスボス島まで渡る途中でボートが停止しまいます。アッラーの神に祈りながら、サラはボートを降り、ロープで引きながら前に進みます。その間にボートは再始動し何とか無事に島に到着したのです。
 
 8月29日から翌日はセルビアからハンガリー国境を徒歩で超えました。ザヘールという男性の後にユスラは続きます。腰を低くしてザヘールが腰を低くして、トウモロコシ畑のあいだを小走りで幹線道路に向かって進みます。ユスラも後に続きます。ザヘールが腰を低くしろといえば低くして、ユスラはじっと待ちます。わたしたちは人間、けものではない。どうして犯罪者のようにトウモロコシ畑にひそみ、警察に追われなきゃいけないのか、ユスラは嘆きました。

その後、何とか無事に国境を越え、9月にはハンガリーに入国しますが、ここでも警官の冷徹な尋問を受けながら、3日には留置場を経て難民キャンプに到着。4日後にはドイツのミュンヘンを経由してベルリンに入ります。その後、ユスラは水泳の練習を再開し、リオネジャャネイロ・オリンピックに出場するのです。

目の前で絶望的な状況が起ころうとも、私は立ち上がる
 

本書巻末でユスラは以下のように述べています。「全力でがんばっても結果が出ないときもある。そんなとき、わたしは目を閉じて、海でのあの絶望的な場面を心に呼び起こす。(中略)死んでしまえば楽になる、とささやく声を。でもあきらめずに戦ったことを。そして打ち勝ったことを。(中略)生きのびたことを。(中略)いまの私は何にも負けない。何が起ころうとも、私は立ち上がる。泳ぎ続ける。生き続ける。さなぎから蝶(バタフライ)になって、羽ばたくのだ」

ReadingComment(ブログ筆者)

ユスラの父親同様に多くの市民が拷問を受ける
 2011年に始まったシリアでの内戦はすさまじい戦争でした。政府軍と反政府軍の戦いは後方支援する政府軍のロシアと反政府軍のアメリカとの代理戦争でもあり、その後、反政府軍にはIS(イスラム国)が入り込むなど泥沼の様相を呈するようになってしまったのです。
 

ユスラの父親も暴行を受けていますが、市民の中には拷問や監禁で苦しめられた人々も多く、拷問では目をくりぬかれていたり、両足をしばられ長時間にわたり吊されたりした者が存在し、両手首が使えなくなってしまった人もいます。
 

また、NHKスペシャル「シリア絶望の空の下で閉ざされた街 最後の病院」(2017年3月19日放送)では、シリアのアレッポに住むかばんデザイナー自身が市民の視点から撮影した悲惨な戦争の記録が放送されました。映像にはクラスター爆弾が落下される中、命懸けで病院で奮闘する医師の姿と、病院に次々と運び込まれる罪のない子供や一般市民の様子が記録されています。
 
辛く苦しい現実から逃げずに闘い勝利した少女の記録
 これらの状況は、いかに内戦がすさまじかったかを語っていますが、ユスラ自身も何度も、あと少しで命を失うという危険な場面に遭遇しています。「バタフライ~17歳のシリア難民少女がリオ五輪で泳ぐまで~」は、そんな難民となった少女が体験したことが、祖国脱出からリオ・オリンピック出場まで詳細に綴られています。
 
 ユスラ本人が英国人のライターの協力を得て書いていますので、より内容も分かりやすくまとめられています。ことあるごとに神に祈りながら生活する、実際にシリアで生活していた少女の気持ちが至るところに表現されています。何よりもユスラ自身の強靱な精神力と体力が、祖国を逃れ、オリンピック出場までを果たしたことは言うまでもありません。次々に起こる、怖く辛く苦しい、信じがたい現実から逃げずに正面から向き合い、勇気を振り絞って闘い続け勝利した少女の記録です。

関連本

「シリア難民」
 (パトリック・キングズレー著、藤原朝子訳 ダイヤモンド社)

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