Book.高倉健が最後に愛した女性・小田貴高が二人で暮らした日々を綴る「高倉健 その愛」

「高倉健 その愛」
(小田貴月著、文藝春秋)

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「日本刺客伝」「八甲田山」「幸せの黄色いハンカチ」「駅STATION」「南極物語」「夜叉」「ブラック・レイン」「あなたに褒められたくて」などの名作に主演し、主演男優賞など数多くの賞を受賞した映画俳優の高倉健さんが他界して5年が経過しました。
 高倉さんは1959 年に歌手で女優であった江利チエミさんと結婚しますが数年後に離婚、以降は俳優としての職業柄、あまりプライベートなことは公開してきませんでした。しかし、1996年に高倉さんは、当時フリーライターをしていた小田貴月(たか)さんと雑誌の取材を通じて出会い、小田さんに交際を申し込み一緒に暮らすことになります。結婚ではなく養女として高倉さんは小田さんを迎えました。

 
 

「高倉健 その愛」(文藝春秋)は、高倉さんが亡くなる二年前に「僕は貴(高倉さんは、小田さんのことを、たかしと呼んでいました)よりも先に死ぬよ。多分・・・・。そしたら僕のこと書き残してね。僕のこと一番知っているの、貴だから」と言われた小田さんが、高倉さんからの宿題を果たすために、17年間の高倉さんと一緒に暮らした思い出を綴っています。
 出会って数か月が経過した頃、小田さんはイランに仕事で出張中に、高倉さんからの電話を受けます。
 「僕が大きな声を出してしまったこと反省しています。(中略)僕が大声を出したのは、貴が心配だったからです。もう二度とイランに行ってほしくありません。続きの話は日本でできますか」
 こう高倉さんはストレートに小田さんに気持ちを伝えたのです。
 

 

ストイックを心がけた高倉健

「高倉健 その愛」には高倉さんの幼少期時代から俳優になるまで、作品や共演者、監督についてのことはもちろん、生活にかかわるプライベートなことが小田さんの筆で細かに綴られています。
 プライベートな食事では①生ものはできるだけ避ける。例外・卵かけご飯の生卵とフルーツ、②料理と飲み物は、常温または温かいもの。冷たいものはほぼ不要。例外・たまに食べるアイスクリーム、③魚類はなくてもかまわない、肉食第一主義。例外で外食の寿司。
 ④野菜類の好き嫌いはほぼなし、⑤炭水化物の好物は白米とパスタ、⑥一品ごとに食べ終えるまで急かさないこと、⑦アルコールは一切不要。
 
 高倉さんが長年、加熱調理した料理や、夏でも常温か温かい飲み物にこだわったのは、腸のバランスを保ち体調を維持するためで、それがプロの俳優としての最低限のルールと考えていたから・・・だそうです。
 たばこも40代で辞め酒は不要、しかも「ジムに通っていないと落ち着かない。(中略)。東映の撮影がピークの頃は、ビタミン注射を打ってもらって、ごまかしながら仕事をしていた。このままだといずれ身体がもたなくなるぞって、限界も感じながら。ジムで本格的に体作りを始めたのはそれから」
 

真冬に京都で滝行も遂行

 ストィックさは役柄のイメージだけでなく、私生活でも貫いていました。
 東映時代には月に一度は京都のお寺で滝行も受けていました。「真冬の水は痛い!冷たいんじゃないんだ。滝のそばにはなかなか近寄れない。(中略)。一番に気をつけなきゃいけないのは、呼吸。体って生理的な反応があるから、水の冷たさで、ふって息止めちゃうんだね。そうすると、みごとに失神する。大声で水に入っていくのは、呼吸を続けるためなんだよ。とにかく大声を出す。僕は、最初にそのお経を徹底的に教えていただいた」
 滝の体験談は小田さんに、たびたび語られました。
 本書を通じて「名優・高倉健」は自分をどう作り上げていたのか、演技ではないまっさらな「人間・高倉健」を知ることができます。
 


Commentブログ筆者
 高倉健さんの映画は劇場公開やDVD、テレビなどを通じて観てきました。フリーとして独立以降、高倉さんは自分の出演する映画を選んできました。映画を通して一貫しているのは、一人の孤独なストイックで忍耐強い男を演じてきたことです。「これが男の生き様」と、高倉さんを見て多くの男性が魅了され続けてきたのです。しかし、それは演技ではなかった。プライベートで素顔の高倉さんも、常にストイックさを心がけていたのです。
 
 高倉さんは読書家でもあり自分を鼓舞するために、本の中に線を引き、自分でもメモをとり繰り返して読み返してきたそうです。自分を鼓舞する言葉では、「疾風に勁草を知る(激しい風が吹いてはじめて、丈夫な草が見分けられる→苦難にあってはじめて、その人の節操の固さや意思の強さが分かる)・後漢書王覇伝」、「艱難汝を玉にす(苦労や困難に堪えてこそ立派な人間になれる)」「我慢と努力がなければ、大人の顔にならない。ただの年寄りになるだけ・剛一(高倉健の本名)」。
 
 

苦難に沈んでも耐えて修行

王陽明の「四耐四不(したいしふ)」の言葉を刻んだペンダントもあり、ことあるごとに首にかけていました。意味は「冷に耐え苦に耐え閑に耐え、激せず噪がず競わず従わず、以って大事を成すべし」です。
 
ブログ筆者が個人的に気になっていたのは、高倉さんが千日回峰行者の酒井雄哉大阿闍梨からいただいた言葉を大切にしていたことです。その言葉は「我が往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」です。
 
 1970年当時、高倉さんは自宅を全焼する火事に見舞われました。この火事をきっかけに、当時は同居していた妻の江利チエミさんの義姉による横領事件が発覚。翌年に江利さんからの申し入れで高倉さんは、チエミ夫人と離婚するのです。それから12年後、チエミさんの45歳での訃報が高倉さんに届きました。
 
 高倉さんは取材を避け京都の比叡山に酒井大阿闍梨を訪ねます。
 やがて寺を去る時に、「南極物語」への出演依頼があることを酒井大阿闍梨に話した高倉さんは、先の「阿弥陀如来のお言葉=たとえどんな苦難にこの身を沈めても、さとりを求めて耐え忍び、修行に励み決して悔いることはない」をいただき、「南極物語」への出演を決めたのです。高倉健という俳優の、本当の姿を知ることのできる一冊です。

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